こんにちは、ソーシャル・コンピューティング研究室の研究員真鍋です。
ソーシャル・コンピューティング研究室は、医療データとソーシャル・メディアの両方を研究の対象としています。この強みを活かして、ユーザー側への配慮と医療への貢献ができるソーシャルメディア「ABCエピソードバンク」を先日リリースしました。このABCエピソードバンクは乳がん患者さん向けの、当研究室オリジナルのソーシャルメディアです。既存のSNSのデータを用いるのではなく、オリジナルのソーシャルメディアを研究室が運営するというのは、チャレンジングな試みかもしれません。
このABCエピソードバンク、皆様にとって聴き慣れない用語で構成されていることと思います。まずは「ABC」と「エピソードバンク」のそれぞれについて、ご説明したいと思います。
「ABC」は特にステージが進んでいたり、再発を繰り返している進行性乳がん(Advanced Breast Cancer)を指します。想定するユーザーは必ずしも進行性乳がんには限りませんが、乳がん罹患者あるいはそれに関わる人である事を前提としています。患者会の開催がCovid-19の感染拡大により制限されている現在、オンラインで自助会に代る語りの場のニーズは高まっていると考えられます。
次に「エピソードバンク」ですが、これはバイオバンクを参考にした造語です。バイオバンクは、生体試料を新しい治療法などの開発/研究に役立てる制度です。この制度のように、患者自身の語りを収集し、その言語処理の結果から、医療に生かすことがエピソードバンクの大きな目的としています。
なぜ患者さんの語りを収集することが、医療に役立つのでしょうか?
それは現代の医療において、エビデンス・ベースド・メディスン(EBM)とナラティブ・ベースド・メディスン(NBM)が互いに補完的な車輪の両軸だと言われるためです。
EBMは、医療研究によって得られた客観的なデータを用いた医療であり、医師や病院が変わったとしても一定の適切な治療を受けられるために重要な理念です。しかし、根拠になるデータが十分そろっていない疾患、治療が困難な疾患、高齢者のケア、死に至る病気、あるいは精神に関わる病気などEBMを適用できない場合もあることから提唱されたのがNBMです。NBMは病気の経緯や現在の自身の考え方についての語りから、患者の痛みや苦しみにアプローチする手法です。問診の重要性を再度問い直し、患者さんを全人的にサポートする概念だと言われています[医療教育情報センター 2012]。
既存の患者向けソーシャルメディアと異なる点は、この研究視点だと考えています。エピソードバンクでは、患者同士の自助によるケアを促進する効果と同時に、そこから得られた知見を医療に活かす事を念頭においています。
次にシステムの工夫についてお話させていただきます。
ソーシャルメディアとしては、ブログと掲示板の中間の性質を持っていることが特徴です。それぞれが自由に投稿でき、投稿内容はタイムライン形式で一つの掲示板に統合されています。利用者同士のコミュニケーションの機能を最小限に止めることで、ソーシャルメディア上での人間関係の負担を減らし、コミュニケーション上の問題が起きにくいシステムを目指しています。
このようにユーザー同士の直接的なコミュニケーションを促進しないシステムである一方で、蓄積された投稿エピソードを一望することが可能なため、利用者にとっては近い状況にある人々の存在を感じることができ、孤独感を感じにくいシステムとなっています。また、「あるある」「そうなんだ」「ありがとう」など、厳選した4種類のレスポンスが可能です。
自由に書かれた体験談の中から、テキスト間の類似度を算出して近いエピソードを選び、提供できるようになっています。
このシステムは、想定ユーザーの視点と研究視点の双方から評価している段階です。想定ユーザーによる評価は、実際にがん患者さんの就職支援を行っている企業と共同研究を行うことによって、インターフェイス等への意見をシステムに反映しています。また研究視点では、既存のソーシャルメディアを比較することで、どのような機能や使い方が、ユーザーにとって安全に議論できる場だと感じられるかどうかを検討している段階です。炎上のメカニズムなども検討しながら、情報心理学の知見も考慮に入れて運営をしています。
現在はSNSを介して患者さんが声をあげる機会も増え、ペイシェントインフルエンサーと呼ばれる人たちも話題になっています。一方で、インターネット上のトラブルも多く、オンラインでの語りに慣れていない人々に対する機能面でのサポートが重要であるというのが、エピソードバンク運営の中で実感している部分です。
このように、エピソードバンクは運営の手法にもNLP、医学、情報心理学などの知見が生かされています。
[医療教育情報センター2012] 医療教育情報センター: ナラティブメディスン, 新しい診療理念・バックナンバー(No093r;2012/05/04)