自然言語処理における世界選手権

はじめに 

この度、NAIST Edgeの執筆を任されました、自然言語処理学研究室の修士2年、椿真史と申します。僕の所属する松本研究室では主に、コンピュータで言葉の処理をするための研究をしています。みなさんに馴染み深いところで言うと、インターネットで情報を検索したり、コンピュータで日本語を他の言語へ翻訳したり、パソコンで文章を書く時にひらがなを漢字に変換したり等々、みなさんのとても身近にあるものを支える技術について研究しています。僕も今、多くの先輩研究者やエンジニアたちの努力を噛み締めながら、ひらがなを漢字に変換しなければならないこの日本語という複雑な言語を使って、みなさんに何かを伝えるべくこの文章を書いています。日本語は世界の言語の中でも、コンピュータで扱うことがいちばん難しい言語のひとつなんです。

 

自然言語処理は総合格闘技 

自然言語処理という研究分野は、けっこう特殊かもしれません。僕らの扱うものは人間の言葉なので、まず人文系の学問である言語学が研究分野に当たります。しかし、言葉をコンピュータで処理するとなると、その道具はもっぱら数学やプログラミング、つまり理数系の学問の技術が必要になります。言語の研究なのに数学ばかりやっている、なんてこともしばしばです笑。さらに、言語というものはその根底を辿ると、古くからの哲学や、近年盛んに行われている脳の研究など、様々な学問分野と密接に関わってきます。例えば「言葉の意味ってなんだろう?」と考える時、これは哲学の問題になります。「言葉でものを考えるってどういうことだろう?」と疑問に思った時、これは思考を生み出す脳の問題になります。その意味や思考という抽象的なものが、文字の列という具体的なものとして表現される、それが言語です。そして僕らは、数学やプログラミングを武器にして、その言語に闘いを挑みます。どうです?ちょっとかっこいいでしょ?まあ、本当はもっと泥臭かったりするんですが笑。

 

様々な人々が集う特異点

松本研究室はNAISTにおける特異点と称されるほど、他の追随を許さない個性的な(?)人たちが集まっています。プログラミングとお酒が大好きな元ゲーマー、ロンドン名門大学卒の下駄を履いたぴょこぴょこ坊主、ペルシャ神話の構造をコンピュータで解析する変な人、聞けばなんでも教えてくれる生駒の巨人などなど、本当に様々です。そしてそんな人たちがとても自由にユニークな研究をして、素晴らしい業績を残してゆきます。これはやっぱり、自然言語処理という分野が総合格闘技だからなのかなと思います。言語、数学、コンピュータ、脳、さらには哲学まで、本当にいろいろなバックグラウンドを持った人たちがいて、みんながお互いの分野に興味を持ち合って自ら勉強してゆく環境が、この松本研究室にはあると思います。

 

初めての世界の舞台で

私事で少々恐縮ですが、先日僕は国際学会での研究発表のため、アメリカは西海岸のシアトルに行ってきました。シアトルというのは実はIT産業で有名で、アマゾンやマイクロソフトの本社はここにあるんです。僕らはコンピュータで言葉を扱う研究をしているので、学会ではこのような世界的なIT企業がスポンサーになったりします。

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今回の学会は、論文の採択率が低く競争率の激しい学会で、いわば自然言語処理における世界選手権のようなものでした。世界からはスタンフォードやオックスフォードなどの大学研究者やグーグル研究所のリサーチディレクター、日本からはトップの大学や企業研究者の方々が参加し、僕がいちばんひよっこでした。国際学会どころか、なにせ海外も初めてだったのでパスポートを取るところから始めるくらいでしたが笑、とても刺激的な一週間を過ごすことができたと思います。

僕のプレゼンテーションの本番では、ぞくぞくと人が集まり、立ち見が出るくらいの大盛況でした。NAISTのような奈良の小さな大学院でも、こんなふうに世界と闘っていけるということを証明できたと思います。これからも精進します。

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大学院を目指す社会人へ

僕は、会社を辞めて大学院に来た少し特殊な人間です。ここでは、社会人で大学院への進学を考えている方の参考になればということで、少しだけメッセージを書こうと思います。もちろん、学部生の方の参考にもなると思います。ちなみに僕は、学部では白衣を着て化学実験を、会社では普通のサラリーマンをしていました。今自分が自然言語処理の研究をしているなんて、その頃の自分には絶対に想像できなかったと思います。まあ、人生そういう方がおもしろいです笑。

学部での専攻や今働いていることと関係ないことでも、ちょっとしたきっかけがあったり、これまで抱いていた思いが積もりに積もって、何かを本気で研究したいと思い立ったのなら、大学院に来ることは最高の選択だと思います。僕の研究室の優秀な先輩方には、学部から専攻を変えて来た人がたくさんいます。僕は、いろいろ迷った人の方が強いと思っています。だから大いに迷って、NAISTに来てください。これまでと道を変えたって何かを達成できるんだということを、是非証明しましょう。NAISTでの研究が実を結んでノーベル賞を受賞した山中伸弥さんも、そんな逆転を狙ってNAISTに来た一人だったんです。

僕は、一度社会人をやってから大学院に来る人がもっと増えるといいなと思っていますし、増えるべきだと思っています。大学院生は学生ではなく研究者です。そして研究という仕事は、あらゆる仕事の中で最も難しいものの一つだと思います。研究者というのは実験ばかりするのではなく、論文を書いたりプレゼンテーションをしたりと、幅広いスキルが高いレベルで求められるオールラウンダーです。社会で様々な経験をしてから研究の世界に来るというのは、僕はとても刺激的なことだと思います。

 

考え続ける意志力 

研究は99.999%うまくいきません。僕は誰よりも失敗した自信だけはあります笑。でもそれは裏返せば、誰よりも研究したということでもあると思います。研究というのは、世界でこれまで誰もやらなかったことをやることなので(そうでないならそれは研究じゃないです)、自分の前に道はありません。うまくいくだろう思ったことはたいていうまくいきませんし、うまくいかないだろうと思ったことはもちろんうまくいきません。全方向を全速力で走っては失敗して最初に戻る、ひたすらにその繰り返しです。僕自身、早朝から深夜まで休みなく研究し続けても、結果が出ない日々が何ヶ月も続きました。部屋で寝ていてふとアイディアを思いついて、真夜中に走って研究室へ行って実験するなんてことは、日常茶飯事でした笑。それでも僕は、今思うと自分でも不思議なのですが、決して諦めることはありませんでした。確かに苦しくて辛くて嫌になることもありましたが、結局はそんな考え続ける日々が、僕にとってなによりも充実していたんだと思います。

ただ漠然と考えることは簡単なことです。でも、ひとつの問題に対して徹底的に考え続けることは、とても難しいことです。考えるということを、点ではなく線にすることが大切だと思います。

昨日思いつかなかったことを、僕は今日新たに考えている。それは成長です。今日思いつかなかったことを、僕は明日きっと考えている。それはとても楽しみなことです。たとえ結果が出なくても、考えることの成長と楽しみ、この2つを日々感じることができれば、きっと考え続けることができます。そして考え続けることができれば、きっと出口は見つかります。なかなか結果が出ずに苦しんでいる大学院生に、僕が今伝えられるメッセージはこれだけです。研究、頑張ってください。

 

おわりに〜進捗どうですか?〜

昨日思いつかなかったことを、僕は今日新たに考えている。 今日思いつかなかったことを、僕は明日きっと考えている。 そんな日々こそが進捗であり、そして研究だと思います